カン! と澄んだ音が耳に届いた。
一瞬、氷が弾けた音なのではないかと思った。
何故ならばそれは、人の頭蓋に矢が突き刺さった音にしては、あまりにも場違いに澄んだ音だったので。
金属の矢尻が頭蓋骨と脳を破壊したそれは、本来ならば気色の悪い、鈍い音を立てるはずなので。
「立て、デニム! 何をしている!」
怒声に近い大音声に驚いて背後の丘を振り仰ぐと、アロセールの姿があった。
彼女は言い終わるが早いか、背中の矢筒から矢を抜き、弓弦を引き絞っていた。
獲物を狙う猛禽のような鋭い眼差しで、迷いもなく矢を放つ。
また、あの澄んだ音が奏でられる。
眉間を射抜かれた敵将は一瞬怪訝そうな顔をしたが、すぐに気絶するようにしてうつ伏せに倒れた。
「デニム!」
アロセールは厳しい声色で呼びながら崖を滑り降りると、そのままデニムの元に一直線に駆け寄った。
憤怒の形相でデニムの胸ぐらを掴み上げる。
「デニム、お前は、今、何をしていた」
憤りを押さえつけているのか、アロセールは一言一言区切り、低く強い声で言う。
「お前は指揮官だ! 指揮官ならば戦場では己の迷いも悩みも全て棄てろ! お前の迷いで犠牲を増やしたいのか!? 敵の屍のみならず、味方の屍まで積まねば満足できんのか! 答えろ、デニムッ!」
「……すみません。アロセールさん」
「私に詫びて何になる。それとも、お前の失態で死んだ者にも『すみません』と言って済ますつもりか? この惨状を見ろ!」
胸ぐらを掴んでいた手を突き放す。
デニムは流れた血で赤くなった水たまりに投げ出された。
起きあがることもせず、デニムはただ項垂れた。
「おい、アロセール。それくらいにしとけよ。他の兵士に見られるだろ?」
「カノープス。貴方がそうやって甘やかすからデニムはいつまで経っても未熟なのだ。たかがカチュアが離反したくらいで己の立場を忘れるとは、指揮官失格も甚だしい」
「アロセール……」
カノープスが困ったように目尻を下げる。
アロセールが言っていることは全くの正論だ。いかに姉カチュアが暗黒騎士団に擁立されヴェルサリア王女として名乗りを上げようとも、指揮官たるデニムが戦場で気を散らしても良い理由にはならない。
だが、あまりに慈悲がない。
もしもカノープスが止めなかったら、私が止めていた。
「すみません、アロセールさん……」
力無く笑い、デニムが膝をついて立ち上がろうとする。
デニムの表情は、傍目にも無理をしていると分かるものだった。
膝の力が抜けているらしく、腰を上げたところでまたへたり込んだ。
「ほら」
「大丈夫です。ありがとうございます、カノープスさん」
カノープスが差し伸べた手を断り、再び力無く笑う。
痛々しいほどの作り笑顔だ。
「デニム、嘆いている暇などない」
しかしアロセールはそんなデニムに一瞥をくれ、酷薄にもそう告げる。
確か、初めてあの音を聞いたのはコリタニ城だった。
ふいに思い出し、顔が歪む。
この女性は恋人の頭を射抜いた。
カンと澄んだ音がして、自らを『犬』と皮肉った哀れな騎士は、先程の敵将のようにゆっくりと倒れ、そのまま末期の一言さえも発することなく死んだ。
その後、皆が彼女を気遣ったが当のアロセールは嘆く素振りなどおくびにも見せず、戦場では平然と弓を構えて矢を放つ。そしてあの音を響かせる。
そんな彼女の様子に、最初は無理をしているのだと心配していた仲間達も、しばらくしたら「彼女には心がない」と囁くようになった。
彼女の中にあるのはバルマムッサで殺された同胞の無念だけで、同胞を殺したかつての恋人は仇に過ぎないのだろうと。
だから頭部に矢を放ったのだ、と。
アロセールほどの弓の名手ならば、一言残す時間を与えられるような場所も狙えるはずだ。それなのに頭部を射抜いたということは、自分の手で仇を殺したかったからに違いない。デニムに裁決を委ねたくなかったのだろう。
女は残酷だ。
得も言われぬ憤りに耐えきれず、私は背を向けたアロセールを睨む。
「アロセールさん!?」
大股で毅然と歩き出したアロセールが、突然斜めに傾いで水たまりに倒れた。
宿営地が設置された後、私はアロセールのテントへ足を向けた。
アロセールの傷は深かった。
デニムを狙って放たれた敵の矢は、踵を返したせいで射線の妨げとなったアロセールに突き刺さったのだ。
傷の深さもさることながら矢には毒が塗られており、後衛に控えていたクレリックたちが到着するまでに時間がかかったせいもあってかなり回ってしまったらしい。
デニムを崇拝する者の中には、自業自得だと囁く者もいた。
しかし当のデニムがそんなことを言うものではないと窘めた。
戦場で不覚を取った自分を叱咤してくれ、そして偶然とは言え自分の身代わりになってくれたアロセールを貶めるなど許せないと心底怒ったのだ。
普段は温厚そのもののデニムの一喝に全員がすくみ上がった。
その場でデニムにアロセールの具合を見に行って欲しいと頼まれれば、私も首を縦に振らざるを得ない。
「アロセール、フォルカスだ。失礼する」
入口の幕を上げると、隅に寝かされているアロセールが姿が見えた。他に人の姿はない。
だがアロセールが寝ている敷布の側の火鉢には炭が燃えている。
先程までは誰かいたのだろうか。
見ると、枕元に水が入った桶がない。おそらく水を入れ替えるために僧侶が席を外したのだろう。
「アロセール?」
声をかけたが、アロセールは全く反応しない。高熱のためか、それとも薬のおかげか眠っているようだ。
仕方がない。
取り敢えず熱だけでも確認するかと思い、敷布の傍らに膝を着いた。
額に乗せられている布に触れた途端、私は思わず飛び上がった。
煮えたぎる熱湯の中に手を突っ込んだような感じだ。
よくよく見ると、アロセールの顔にはびっしり汗が浮かび、苦しそうに熱い息を吐いている。
「アロセール! 大丈夫か!?」
私も戦場で負った傷のせいで高熱を出した経験がある。
だがこの熱は風邪や傷の化膿などから起こる熱などとは違う。尋常ではない。
毒とは、これほど深く人に浸透するものなのかと驚愕した。
そして彼女も人間らしく熱を出すのかと、二重の意味で驚いた。彼女は、何があろうと平然と対処すると思っていた。
「あのね……熱を出すとね、いつも同じ夢を見るの」
突然発せられたアロセールらしからぬ口振りに、私はぎくりとなった。
いつもの勇敢で凛とした彼女とは全く違う。熱に浮かされ、無防備に甘えるようなそれは、ひどくなまめかしく女性を連想させるものだった。
「……きれいなんだけど、とてもいやらしい、生々しい桃色の内臓の中で、私は一生懸命出っ張っている筋を叩いているの。それが仕事なんだって、同じように叩いてる周りの人に言われて、ああそうかって思う。でも筋は堅くって、手が痛くて……」
ふ、とアロセールは一息吐いた。
「でも仕事だからって筋を叩き続けるの。そうしたら、突然ぽこんって筋が引っ込むことがあるの。それがね、とても気持ちよくて。ああ、良かった。これで一つ終わったって、安心する……」
「アロセール?」
女性は、時として男には理解不能な言葉を紡ぐものだけれど。
こんなアロセールはおかしい。ひょっとしたらこのまま死んでしまうのではないか。背筋に嫌なものが走った。
いくら嫌いな人間であれ、仲間が死ぬのは辛い。
アロセールの目まで覆った布を上げると、彼女はひどく穏やかに笑っていた。
「でもね、そこで終わらないの。ずっと続くの。終わりがないの。息苦しい内臓の中で、わたしはずっと筋を叩き続ける。手の皮が破れて血が噴き出しても、それが固まってタコができてしまっても……内臓の色なのか自分の血の色なのか分からなくなっても、ずうっと」
ふふ、と幸せそうにアロセールが笑う。
こんな訳の分からない、そして酷い話なのに何故幸せそうなのか。
緩やかに死へ向かう人間はこういったものなのだろうか。
「誰か! 僧侶はいないか!?」
「目覚めて、手を見るの。そしたら両手にちゃんと弓のタコがあって……。あれは夢だったって、安心する」
ぱたんと、弱々しくアロセールの手が敷布に落ちる。
その手を見て、私の喉に絡まっていた叫びが押し込められた。
アロセールの手は、剣を使う私の手よりも皮が厚い。
剣を使う者は手袋をする。剣の間合いは敵の間合いでもあるので、防御を高め不必要な怪我をしないためだ。そして、血で剣が滑らないようにするためにでもある。中には素手で扱う者もいるがそれは稀だ。
だから手袋を外した手は意外にもきれいだ。勿論剣を振るうわけだから無骨な形になってしまうが、触れれば人の熱が分かるくらいに薄い。
だがアロセールの手は。
何十年も働いた農夫のそれよりも皮が厚く、不格好に筋張っている。熱が出れば汗を掻くはずなのに、その水分すらも拒否しているかのようにひどく乾燥してがさがさだ。短く切りそろえられ、肉に食い込んでいるかのような爪も、貴婦人の美しい貝殻のような形とは縁遠い。
そして右手の人差し指と中指
それから左手の手の平。
その部分は、弾いたらカツンと、あの澄んだ金属のような音がするのではないかと思うくらいに固まっている。完全な『弓を引くもの』の手だ。
たった19才の、まだ女の子と言ってもいい年令の女性の手がここまで変化してしまった原因は何だろう。
収容所での過酷な重労働。そしてきっと弓を引き、何度も皮を破いては治る暇がないほどにまた弓を引く。そんな戦場での休みない日々が彼女の手を変えてしまった。
「手って、その人そのものみたいね……」
アロセールの手が微かに動き、私の指に触れる。
ひどく驚いた。
だが不快感は全くない。
赤ん坊に指を握られてしまったような感じだった。
「舌がこそばゆいの」
また、アロセールが笑う。
ああ、確かに。
熱がある時に空気を吸い込むと、舌をくすぐられているような感じがする。
舌が一割ほど膨張したような。とても甘い感覚。
そんな幸せな感覚の中にいるのだろうか。だから、笑っているのだろうか。
「……アロセール」
熱を出せば鍛錬もできない。迷惑もかける。とても嫌だ。
だがそんな熱の感覚は、私も好きだった。熱があるのだから、仕方ないから休んでいいのだと身体が甘やかしてくれているような気がして。
火傷しそうに熱いアロセールの手が、きゅっと私の指を掴んだ。
先程まで閉じていた瞼がうっすら開き、幸福そうに微笑み、私の目を見ている。
アロセールは、ふふ、照れくさそうにはにかむ。
「あなたの手もそうね。レオナール」
夢見るような眼差しで、譫言のように言う。
アロセールはそのまま眠りに落ちた。
レオナール。
レオナール。
レオナール。
甘い、甘い声色。
彼女は私に語りかけていたのではなかった。
自分でも何故だか分からないほど、ひどい衝撃を受けた。
――デニム。嘆いている暇はない。
あの言葉を、私はすぐ側で聞いていた。
彼女の声色には一片の憐れみもなかった。
――彼はどんなふうに死んだのですか?
ふいに、いつか聞いた言葉を思い出す。
ああ、そうだ。配下の兵の妻や恋人に戦死を告げた時だ。
彼らの戦死を伝える時、私は彼女らの心中を慮って、あるいは苦痛が和らぐようにと、その兵士がどんなに藻掻き苦しんで死んでいたとしても、必ず「立派に戦いました。一瞬の出来事でした」と告げる。すると彼女らは「彼が苦しまずに死んだのならいいんです」と、答える。
ひょっとしたら、アロセールはコリタニよりも以前にそれを知っていたのだろうか。
同胞を奪われたバルマムッサで、アロセールの兄は兵士に追い回され炎に撒かれ、苦しんで死んだに違いない。
残された者たちの最後の願い。
「……苦しまずに、死んだのなら」
アロセールはそれすら叶わなかった。
だからこそ、せめて自分が手を下す戦では容赦なく頭を射抜くようになったのだとしたら?
恋人を一撃で殺したのは、仇だからではなく、本当に愛していたからとしたら?
彼を苦しめたくなかったからだとしたら?
他の人間の手に、渡したくなかったからだとしたら?
悲しくとも、絶望に近くとも、自分の手に全てを引き受けて。それほどに、愛していたのだとしたら?
アロセールに射抜かれた敵兵は即死する。彼女は急所を外さない。藻掻き苦しむ時間も与えない。
こんなにも手をぼろぼろにして、血に染めてまで。
あまりにも辛かったから、他の人に同じ気持ちを味わわせたくはないと、辛い気持ちをぎゅっと押し殺して、前を、前を見ようとしていたのだろうか。そうして足掻いた末に、誰もが冷酷だと思うような女性になってしまったのだろうか。
それがもしも残された女達に希望を残すためならば、それが真実ならば、彼女は敵兵の妻や恋人の願いを叶えるために仲間を欺いている。
冷酷さを装い、こんなことでもなければ彼の名を呼べぬほどに。
彼を、思い出すこともできぬほどに。
ぐるぐると様々な推測が脳裏で繰り返される。
そうであって欲しいと思う部分と、いや彼女はやはりただ冷酷なだけなのだと思う部分と、その二つが心の中でせめぎ合う。
だってそうではないか。
今のデニムはぼろぼろだ。
ウォルスタ人だと思っていた自分が、憎きバクラム人だと知った。その上バクラムの首領、ブランタは実の叔父にあたる。
さらに姉カチュアは暗黒騎士団に奪われ、あまつさえ姉だと思っていたカチュアとは血のつながりはなく、しかもベルサリア王女だったのだ。
これらが一気に降りかかったデニムに動揺するなという方が酷だ。
誰もがデニムを気遣って場を明るくしようとしているのに、アロセールは首根っこを掴んで現実に押しつける。そんな彼女が冷酷でなくして何だと言うのか。
そう考えて、私は先程の考えを振り払おうとした。
アロセールの状態は確認した。後はデニムに報告するだけだ。
自分の手を握るアロセールの指を解こうと反対の手を伸ばす。
――デニム、嘆いている暇はない。
あれは、彼女が自分自身に言い聞かせていた言葉だったのだろうか。
突然、言いようのない衝動に襲われて顔が歪む。
「う……」
涙よりも先に嗚咽が込み上げた。
堪えるために顔を逸らし、ぎゅっと目を閉じる。
このまま声を放って泣いてしまいそうだ。
熱のせいで、アロセールはひどく混乱しているのだろう。
ぼんやりとした視界の中で、彼と私を重ねてしまったのだろう。
彼に言葉を紡ぐようにして語り、少しだけ、少女の顔を覗かせた。
ああ、私とかの騎士は、果たして似ているのかもしれない。
髪の色や体格や顔立ちは全く違うけれど、ただこの騎士の手だけは。
それならば、私の手を彼の手だと思ってもいいから。
今、この一時だけでも忘れればいい。
そうして、今だけでも安らかに眠って。
今だけでも、美しく幸福な恋の気持ちに浸って。
愛しい人を思い出して。
目が覚めたら残酷な現実が待っているだけなのだから。
あなたはまた現実だけを見据えるのだろうから。
「あなたの手もそうね。レオナール」
その、熱を含んだ溜息のような声を思い出して、私はただ泣いた。
オウガ30題、追加お題その1 「嘘」
追加お題では「伝説のオウガバトル」以外のオウガシリーズを書こうかなと考えています。
そして「嘘」。Cルートのフォルカス×アロセールにみせかけて実はレオアロな感じです。
ゲームではコリタニでレオナールを倒すとほんのすこしだけデニムに向けた台詞がるのですが、ちょっと無視してしまいました。
あの二人は恋人同士という設定なのに、コリタニで二人の会話がなかったのが不思議でした。
レオナールの死の間際も、死後も、アロセールは全く彼の事には触れなかったのですが、一体どんな気持ちだったんでしょう。あらためてタクティクスオウガをプレイしていて、勝手に想像して、わたくしが泣きそうになったりしたのでした。