わたしは脱け殻。
だってあの日、わたしは全てを失ってしまったのですもの。
息子も夫も殺されてしまった。
他の人たちもみんなみんな。
たくさん血が飛び散った。
歩くとぴちゃぴちゃ音がした。
城は血にまみれてしまった。
わたしは死人。
だってあの日、わたしは毒を仰いで死んだはずですもの。
もう一人の息子が気がかりだったけれど、追っ手はそこまで来ていたから。
殺されるくらいなら、いっそ自分の意志で誇り高く死ぬつもりだった。
それなのに、わたしは天に召されなかった。
わたしの魂はこの腕輪の力で体に止められてしまった。
わたしは人形。
だって体は動かない。
手も足も指も喉もどこも動かない。
動くのは瞼だけ。
わたしは呼吸しているだけの、ただの人形。
そんなわたしをあなたは抱く。
あなたがわたしに着せた可憐なドレスを、あなたはその手で剥いでゆく。
あなたがわたしに塗った薄桃色の口紅を、あなたはその唇で拭ってゆく。
わたしの冷たい皮膚を撫でて、あなたは何度も囁きかける。
「フローラン」、と。
人形になってしまったわたしを城から救ってくれたのはあなただった。
あなたはわたしを見つけると、わたしをこの城に運ばせた。
わたしは初め、あなたの名前を知らなかった。
だって、わたしはしゃべれないのだから。
あなたがわたしの世話係として呼んだ老女が、あなたの名前を教えてくれた。
あなたの名前はアルフィン・プレヴィア。
わたしから家族と国を奪った、憎いハイランドの騎士。
あなたは言う。
「大丈夫だ、フローラン。心配するな。いつか私がきみを生き返らせてみせる。だから、もう少し我慢してくれ」
それは嘘。あなたはわたしを苦しめたいのでしょう?
あなたは言う。
「頼むから、フローラン。そんな悲しそうな顔をしてくれるな」
それはあなたの錯覚。わたしは瞼を動かすことしかできない。
あなたは言う。
「もう少しだ、フローラン。ラシュディ様に力をいただいたら、きっと腕輪の力を消してみせるから」
それも嘘。
そうやって、安心させて、いつか裏切って、わたしが絶望するのを見て楽しむのでしょう?
あなたは言う。
「駄目だったよ、フローラン。その腕輪を抜いたらきみは死んでしまう……」
ほら、やっぱり。わたしはだまされない。
それなら早く殺して。
そうしたかったのでしょう?
あなたはわたしをこの城に閉じこめた。
あなたは夜ごと薄暗い地下室にわたしを連れて行く。
そうやって、あなたは何度もわたしを死霊魔術の実験台にした。
わたしは人形なのに、五感はちゃんと残っていた。
体が引き裂かれそうな痛みがあっても、声一つあげることができなかった。
血が噴き出しても、傷口を押さえることができなかった。
どうしてこんなことをするのだろう。
それは多分、わたしが敵国ゼノビアの王妃だから。
それに、人形だから。
どんなにひどいことをしてもいい、都合のいい実験台だから。
あなたはたまに涙を流す。
わたしが哀れなのだとあなたは言う。
もしもこの手が動くのならば、わたしはあなたの目を抉るでしょう。
あなたはたまにわたしの首を絞める。
わたしが答えないからだとあなたは言う。
もしもこの口が動くのならば、わたしはあなたを罵るでしょう。
あなたはたまに故郷を語る。
わたしにも見せたいとあなたは言う。
もしもそんな世界があったとしても、わたしはたった一つ動くこの瞼を伏せるでしょう。
あなたはたまに愛を唄う。
わたしの気持ちを知りたいと言う。
もしもこの足が動いたならば、わたしはここから逃げ出すでしょう。
あなたの狂気に捕らわれる前に。
どれくらいの実験をされただろう。
いつしかあなたはわたしに何もしなくなった。
あなたはきっと、もっとひどい仕打ちを考えているのでしょう?
ある日を境にあなたはこの城を訪れなくなった。
世話係の老女は部屋を掃除していたとき、突然倒れて死んでしまった。
こんなに暗い、人の気配のない城でわたしはひとりぼっち。
暖炉から火が消えて、体が凍える。
寝返りをうてないので、床ずれで体が痛む。
夜になると狼の遠吠えが聞こえる。
見つかったら食べられてしまう。
夜になると鼠が這い回る音が聞こえる。
見つかったら囓られてしまう。
老女は徐々に腐り始めた。
とてもひどい臭いがする。
白い小さな虫がたかっている。
わたしもあんなふうになってしまうの?
生きたまま、あんなふうに。
恐い。寂しい。恐い。
誰か、助けて。
あなた、助けて。
わたしを一人にしないで。
これがあなたの考えた新しい実験なのですか?
ひどい。
ひどい。
あなた、助けて。
ある日、やっとあなたが訪れた。
老女の亡骸を片づけると、将軍になって、とても忙しかったのだと詫びた。
恐ろしい思いをさせたと言って、わたしを抱きしめた。
わたしはあなたへの感謝を伝えようと、懸命にまばたきを繰り返した。
「フローラン、きみは瞼を動かせるのか?」
わたしが瞬きを続けると、あなたはわたしの手をとって跪いた。
「なんてことだ! 神よ、感謝します!」
あなたは大粒の涙を流しながらわたしの瞳を見た。
あなたをきちんと見るのは初めてだった。
あなたはとてもきれいな青い目をしている。
「フローラン、『はい』なら二回、『いいえ』なら一回、まばたきしてくれ。本当に動かせるのか?」
わたしは二回瞬きをした。
あなたはもう一度神に感謝した。
わたしはあなたに感謝した。
何度『いいえ』と訴えても、あなたはわたしを抱く。
わたしを辱める。
わたしの足を開かせる。
でも、もういいのです。
あなたの言葉が嘘でも偽りでも、わたしはもうかまわないのです。
何をされてもかまわないのです。
だからひとりにしないで。
わたしを置いて行かないで。
わたしを見捨てないで。
あなたが姿を見せてくれるのなら、それでいいのです。
あなたはわたしを抱くけれど、決して乱暴にしたりしないから。
あなたはとても優しい声でわたしの名前を呼ぶから。
あなたはわたしに可憐なドレスを着せる。
「どうだろう。気に入ってくれたか?」
わたしは二回瞬きをする。
それでもあなたは悩む。
私は武人だから、女性の流行が良くわからないのだと。
あなたのその様子は、とても可愛らしい。
もしもわたしが人形でなければ、微笑んであげられるのに。
あなたはわたしに薄紅色の口紅を塗る。
「どうだろう。気に入ってくれたか?」
わたしは二回瞬きをする。
それでもあなたは悩む。
もっときみに似合う色はないだろうかと。
あなたのその様子は、とても可愛らしい。
もしもわたしが人形でなければ、口づけを返してあげられるのに。
あなたはわたしの髪をくしけずって結い上げる。
「痛くないか?」
わたしは二回瞬きをする。
それでもあなたは悩む。
私がもっと器用だったら、もっとうまく結い上げるのにと。
あなたのその様子は、とても可愛らしい。
もしもわたしが人形でなければ、あなたの髪を梳いてあげられるのに。
あなたはわたしの体を拭く。
「冷たくないか?」
わたしは二回瞬きをする。
それでもあなたは悩む。
本当か?無理をしていないか?と。
あなたのその様子に、わたしは胸を痛める。
もしもわたしが人形でなければ、あなたを抱きしめてあげられるのに。
でもあなたは尋ねない。
「私を愛しているか?」とは。
あなた、どうしてですか?
わたしは尋ねられなければ答えられない。
尋ねあぐねるあなたの様子に、わたしの胸は痛む。
もしもわたしが人形でなければ、あなたが望む言葉を何度も囁くのに。
薄暗い城で、あなたとわたしで過ごす時間。
返事をする人形と、人形使いの時間。
きっとあなたは狂ってしまったのでしょう。
きっとわたしは狂ってしまったのでしょう。
あなたは傀儡師。
あなたは支配者。
でも、あなたは道化。
あなたはわたしの操り人形。
ある日、あなたがいないとき、柿色のローブを着た男の人が城を訪れた。
見覚えのある人だった。
その人はわたしの腕輪に触れた。
わたしの腕輪を奪おうとする。
やめて。
たすけて、あなた。
「そうか、プレヴィアめ。それで死霊魔術を学びたいと言いおったのか」
あなた。ああ、なんてこと。
あなたが死霊魔術を覚えたのは、わたしのためだったのですか?
腕輪を抜けばわたしは死んでしまうとあなたは言った。
わたしを人間に戻したかったから、あなたは暗闇に堕ちてしまったのですか?
「おもしろい」
この人が誰だか思い出せない。
人形になる前の記憶はどんどん薄れて消えてしまっていた。
あなたはわたしを他の城に移した。
とても大きなお城。たくさん人がいる。
あなたは言う。
「ラシュディ様に知られてしまった。反乱軍をおびき寄せよと仰せだ。ラシュディ様からは逃げられない……」
反乱軍? ラシュディ様?
よくわからない。
でも、あなたがわたしを守ってくださるのでしょう?
わたしによく似た青年があなたを切り刻む。
あなた、死なないで。
わたしをひとりにしないで。
あなたは血まみれでわたしの腕を掴む。
あなたはわたしから腕輪を抜き取る。
ひとりで死ぬこともできない可哀想なあなた。
わたしを連れていってくれる優しいあなた。
「愛しているよ、フローラン」
血を吐きながら、いつものようにあなたは愛を唄う。
「きみは私を愛しているか……?」
あなたは初めてそう尋ねると、そのまま事切れた。
腕輪がころんと抜け落ちる。
『はい』なら二回。『いいえ』なら一回。
わたしは二回瞬きしましたのに。
もうあなたには届かない。
馬鹿な人。
あなたが一緒に死んでと言ってくれたのなら、わたしは喜んで従いましたのに。
馬鹿な人。
わたしはあなたを愛していましたのに。
ふたりの時間は終わったのですね。
ここで補足を少し…。
フローランはゼノビア陥落の日に毒杯を仰いで死んだということにしています。
ただ、聖なる腕輪の力で魂が中途半端につなぎ止められてしまったので、生きているのに死んでいるような状態になってしまいました。
ゲームでフローランは25年もの間ゼノビアの生き残りに連絡すらしていなかったので、自分では動けない状態でないと理屈に合わないと考えた末に、「人形のようになっていた」という病んだ私的設定を作りだしてしまいました。
どうしてラシュディに見つかってしまったのか? これについてはプレヴィアsideでご説明いたします。本来こういった補足は反則以外の何物でもないのですが、「人形になってしまった」フローランの一人称だと絶対に知り得ない情報だったものでこんな形になりました。
プレヴィア×フローランは歪んだ貴族趣味的に書こうと思っていますので、倫理的には問題あるかもしれませんが目をつむって下さい。すみません。冷静に考えると、プレヴィアって死体愛好癖と人形嗜好癖がある人みたい…。フローランの挙動に一喜一憂しているので、厳密には違うのですが。