タロットにおける2番目のカード
2は対極。1の存在を証明するもうひとつの1
より進展した始まり
意味するところは「知性」と「慈悲」
正位置での意味は
「充実した環境」
「他者の導きによる婚姻」
そして「精神の愛」である
ミカエラは宴の喧噪を遠くに聞きながら、バルコニーで夜空を見上げていた。
月はない。
祝福の花火を上げるために、式の日取りは新月が選ばれた。
今夜が新月だと分かっていても、ミカエラは空に月を探していた。
彼と夜空を見上げたときは、いつも月が出ていた。くるまっているのは彼のマントだったり干し草だったり毛布だったりした。
だが、いつも月が出ていた。
彼も、それに気づいていただろうか。
ミカエラは視線を床に落とすと、両手で顔を覆った。
決別の夜。
彼以外の男と結ばれる夜は、新月以外にあり得なかった。
ばさり、と翼が風を叩く音が響いた。
ミカエラは、ぐっと顎を上げて平静を装う。
ゼノビア王城の内部、しかも王と王妃の寝室に飛び込んでくる翼は一つしかない。やはりそこには、赤毛の有翼人が姿があった。
宮廷の女性達にしたたかに飲まされたのか、カノープスの肌はやや上気している。宴の始めに身につけていた豪奢な首飾りを外した身軽な格好だった。
「なんだ、ここにいたのか」
「当たり前じゃないの」
カノープスは安堵の笑みを漏らした後、取って付けたようにワインの瓶を差し出した。
ミカエラは微笑みながらそれを受け取り、直に口を付けて飲む。
「うまい!」
ミカエラは大きく息を吐いた。すでに吐息には濃厚な酒の気配がある。
「お前なあ、そんなに急いで呑まなくても誰も横取りしたりしねえよ」
「よく言うわね。私の酒を一番横取りしてくれたのはあんたなのにさ」
ミカエラは下卑た笑みを浮かべながら、瓶をカノープスに返そうと手を伸ばした。しかし、瓶の口に薄紅色の口紅が残っていることに気付いて一瞬動きを止めた。
長らく身を置いた戦場では、常に素顔だった。
豪快に杯を仰ごうと縁に口紅が着くこともなく、乱暴に顔を擦ろうと化粧が剥げることもない。ミカエラを飾っていたのは剣と鎧、そして血だった。ミカエラの周りにあったのは仲間達の屈託のない笑い声と、戦場に響く怒号だった。それが『勇者』であり、『緋色の戦女神』であり、ミカエラ自身が望んだ『ミカエラ』だったのだ。
だが、今のミカエラを彩っているのは華やかな化粧と上等の衣装。周囲にはびこるのは密談と謀略だ。そこに本来の彼女はなく、『ゼノビア王妃』としての女しか見いだせない。
ミカエラは未だ馴染めない現在の自分に対して苦笑すると、さりげなく口紅を指で拭い取って瓶をカノープスに押しつけた。
「なあ、お前さ」
「ん?」
ミカエラは長身のカノープスを見上げた。
まるで別人のようだ、とカノープスは思う。
彼女の腰まであった髪の毛は女官たちの手によって、背中の中程で綺麗に切りそろえられていた。ばらばらだった前髪も、目に入らないように整えられている。
以前のナイフで適当に切った髪の毛は、見ようによっては無精だったが、戦場ではそれが炎のように動いて彼女を鮮やかに彩ったものだ。
今の整った髪型も悪くない。しかし彼女の持ち味である猛々しさや凛々しさを殺してしまっている。
カノープスは目を背けると、翼を畳むために幾度か羽ばたいた。風にミカエラが被ったベールが揺れる。
「ほんとに、それでいいのか?」
「何がよ?」
「だからさ、陛下でいいのか?」
「他に誰がいるの?」
腹を探り合っているようで、カノープスは閉口した。
こうなったら、ミカエラは頑として口を割らない。それは嫌と言うほど良く知っている。
「お前がそれでいいんなら、もう何も言わねえよ」
ふてくされた言い方に、ミカエラは顔をほころばせた。
「口を慎みなさい、魔獣軍団長カノープス。ゼノビア王妃の御前よ」
「ミカエラ」
たしなめるように名前を呼ばれ、ミカエラは肩をすくめた。
ミカエラは瓶に残った酒を飲み干すと、カノープスを部屋に誘った。部屋には高価な酒瓶がいくつか置いてある。
「俺は……こっから先は無理だ」
カノープスは窓辺で立ち止まった。
部屋の奥には天蓋のベッドがしつらえてある。全てが純白。婚礼の夜である今日のために用意された寝具だった。
ミカエラの衣装も純白だ。袖のないドレスは首の後ろの紐を引いただけで、すぐに脱げてしまう代物だった。
全てが円滑に進むように用意された衣服はあまりに実用的でなまめかしく、おそらく数刻先にミカエラが演じるだろう痴態を連想させた。
「お前、大丈夫か?」
ミカエラは高価なワインのコルクを抜き、すぐ側にある華奢なグラスを無視してそのまま酒を仰いだ。唇の端にこぼれたワインを手の甲で拭う。
「大丈夫じゃないって思った時は、あんたが迎えに来ればいいのよ。こうやって、人には無理な高さを飛んで、私を抱いて、連れて行ってしまえばいいの」
「馬鹿なことを言うな」
「そうしてよ、カノープス」
蝋燭の明かりもない闇の中、ミカエラが自分の目を見据えているのがカノープスには分かった。
薄暗がりにミカエラの白い肌が浮かび上がる。それよりもなお白く右腕に浮かぶ跡は、カノープスを庇って受けた傷痕だ。癒しの魔法の効果で消えかかってはいるが、今も痛々しく残っている。これからそれに触れるのはトリスタンだけだ。
そんなに傷だらけになって、それでもまだ我慢し続けるつもりなのか。
カノープスはやりきれない気分になった。
ブーツの踵が廊下を叩く音が遠くから聞こえる。
カノープスは翼を広げた。
「馬鹿なことを言うなよ」
そのままバルコニーから身を躍らせた。
扉が開き、トリスタンが燭台を持って現れた。
「ミカエラ、ここにいたのか」
「トリスタン……じゃないや、我が君、ね。今日から」
トリスタンの顔に安堵の表情が広がる。
ミカエラは窓辺に寄り、外の空気に当たった。
「この炎より君の髪の方が焔のようだな」
「吟遊詩人のようにとまでは言わないけれど、もう少し情緒のある比喩で称えていただきたいわ。意外に詩心がないのね」
「私が下町育ちなのは知ってるだろう?」
トリスタンは寝台の側の燭台に火を移した。
「カノープスがいたのか?」
「よく分かったわね」
「そこに茜の羽根がある」
トリスタンが指した場所には、カノープスの翼から抜けた羽根が落ちていた。部屋の金属製品は白銀、他の調度品も純白で揃えられた寝具の中で、それは血だまりのようにも見える。
「私がさっさと広間を抜け出したから心配だったみたいよ」
「そうだな。私も心配でたまらなかったよ。……君が何処かに行ってしまいそうな気がしてね」
ミカエラの心臓が跳ね上がる。
「侍女たちは?」
「下がらせた。君と話をしたかったからね。婚礼の夜に侍女が付き従う習慣は改めた方が良さそうだな」
「そうね」
ミカエラは先程までのように酒をラッパ飲みしてしまいそうになったが、一呼吸置くとグラスを手に取った。トリスタンがミカエラの手から優しく瓶を奪って酌をする。
「何を隠しているんだ」
「何も」
ミカエラは一息に酒を仰いだ。
「何を誤魔化している?」
「何も」
空になったグラスに、トリスタンはさらに酒を注いだ。
「国王陛下にお酌をしてもらうなんて贅沢ね」
ミカエラは小さく笑うと、蝋燭の明かりにグラスを照らす。
いくら飲んでも酔えないのだ。
「何もないなら、何故そんなに酒を飲む」
ミカエラは再びバルコニーに立ち、被っていたレースのベールを取り去った。ベールは風に運ばれて、初夜の床に落ちる。
ミカエラは舞うような優雅な仕草で両手を広げると、歓喜の笑顔が浮かべた。
「おめでたいからよ。新しい国の門出。それにあなたと私の婚礼だわ。国中が祝ってくれる。こんなに嬉しいことがある?」
「嘘が下手だな、ミカエラ」
トリスタンはミカエラを追いかけてバルコニーに立った。
ゆっくりと両腕を伸ばして、妻を抱く。ミカエラの身体が一瞬強ばった。トリスタンは苦笑する。言葉でいくら取り繕っても、その強ばりがミカエラの本心を雄弁に物語っている。
しかしトリスタンは、ミカエラの強ばりよりもきつく妻を抱きしめた。
「神に選ばれた勇者として、緋色の戦女神として、未熟な私を叱咤してくれた君は、いかなる詭弁も謀略も、己の喜怒哀楽さえも軽やかな嘘で真実に変えてくれたものだ。だが、こうして心を露わにされると、私は君の信頼を勝ち得たのではないかと自惚れてしまいそうだ」
時間をかけて彼女の心を解きほぐせばいい。
20年以上も亡国の皇子として各地を彷徨ったのだ。この期に及んで何を焦る必要があるだろう。愛した女性は、国民と臣下たちの前で妻になった。誰もが恋焦がれた緋色の戦女神が自分のものになった。妻の心が誰を想っていようと、それでいいではないか。
しばらくそのまま抱きしめていると、ミカエラの肩が震え始めた。
夜風が冷たいのかもしれない。トリスタンは窓の内側に移動しようとした。
「トリスタン」
「なんだ?」
「私、多分あなたを困らせるわ」
トリスタンは足を止めた。
「私は宮廷の礼儀を知らない。政治の事もよく分からないわ。口より先に手が出るし、口が出た時もみんなが引いちゃうくらい毒舌よ」
「政治に関しては私より君の方が有能だよ。その他も知っている」
圧倒的なカリスマを持って、己の信念に従ったことを素直に述べる。常に仲間を、民を思う、それは何にも代え難い彼女の美徳だ。真似の出来ない王者の資質だ。
「それに……多分浮気もたくさんするわ」
「かまわないよ」
「嘘よ」
ミカエラは顔を上げ、咎めるような視線でトリスタンを睨んだ。
「君が誰を想っているか知っているよ。今まで誰と眠っていたのかも、誰の傍らで泣いていたのかも、全部。でも君が最後に私の側にいてくれるならそれでいいんだ。私が覚悟していないとでも思っていたのかい?」
「いいえ、いいえトリスタン。今はいいの。あなたは私そのものを愛してくれている。私のどうしようもなく勝手な我が儘も、過去も、全部許してくれる」
ミカエラは悲しそうに目を伏せた。
「でもあなたはいずれ私を疎ましく思うようになるわ。今は良く見えている事でも、時間が経ったり年を取ったりしたら、きっと煩わしくなって、嫌悪感さえ感じるようになるわ。あなたも他の人を愛おしく思うようになる。私たちは形だけの夫婦になるわ。その時には一緒に戦った思い出も、何もかもを忘れてしまう……」
「それは君の経験?」
「そうよ」
声が思いの外力強く、トリスタンは戸惑った。
「……すごく悲しいの。私、前に死んだ夫の事を話したよね? 逞しくておおらかで……私、そんな事を言ったわ。そういうふうに言えるようになったのは、サイノスが死んでからなの。ううん。幸せだった。サイノスを愛していた。でもね、日常の不満って澱みたいにどんどん溜まって関係を濁らせてゆくの。ほんの小さな事なのよ。笑っちゃうくらい些細な事なの。サイノスは食事をした後、お皿を片づけずに寝室に籠もったわ。台所まで持って行ってくれたっていいのに。それに余り私の意見を聞いてくれない人だった」
ミカエラはトリスタンの背中に回した手に力を込めた。大海で流木にしがみつく漂流者のように、それは非道く頼りなかった。
「自分の意志が通らないと怒ったわ。自分の気分で物事を押しつけて、ちっとも私の都合を考えてくれなかった。嫉妬深くて、一座の男優と食事に行っただけで、肋にヒビが入るくらい蹴られたこともある。最初はあんなに優しい人だったのに、どんどん我が儘になったわ。私がどんなに彼を不機嫌にすまいと立ち振る舞っても、彼は私の小さな粗を探しては怒ったわ。下手に出て、努力して、自分を殺して……私、本当にいらいらして、口汚く罵って、カートに……息子に八つ当たりしたわ。まだ言葉もしゃべれないあの子に当たり散らして、抵抗できないあの子を叩いたりしたこともある。失ってから気付くんだわ。どんなに大切なものだったか。あれだけ嫌った悪い癖も、思い出す度に腹を立てた諍いも、全部。それがどれだけ幸福なものなのか考えもしなかった」
「ミカエラ、もう、いいから……」
ミカエラは眈々と抑揚のない声で一息に言った。トリスタンにはそれこそが彼女の胸の奥にぽっかりと開いた底なしの虚無のように思えた。
痛々しさに、トリスタンは胸が締め付けられる。
「最低よ。私、そんなのはもう嫌なの」
いつも明るく振る舞う彼女の心に、そんな闇が潜んでいるのを初めて知った。
「でも今度はきっと私がそんなふうになるわ。あなたを試して、試して、どれだけ私を想ってくれているのか、非道いことをして確かめようとするわ。私はサイノスと同じ。試す事でしか愛情を確認できないのよ」
ましてや私はあなたではない人を想っているわ。
ミカエラが小さな声で言った。
トリスタンの息が詰まる。
「あなたと共に生きようって決心したわ。でも嫌なことばかり次々考えてしまうの。ごめんなさい、もっと早くに言っておくべきだったわね。今言っても、あなたを困らせるだけなのに」
嫉妬をしていないと言えば嘘になる。
トリスタンの脳裏に、最も信頼する白銀の鎧の聖騎士の端正な顔が浮かぶ。
二人が愛し合っているのは知っていた。
そっと、まるで冬を越した種が芽吹くように二人の気持ちは徐々に高まり少しずつ距離を狭めていった。だが男にはゼノビアの騎士としての強い忠誠心があり、トリスタンの想い人がミカエラだと知ると身を引いた。ミカエラも彼の苦悩を察し、彼の側にいるためにトリスタンの求婚を受け入れた。
互いを想いながらも、互いを想いすぎているが故に二人は別々の道を歩んだ。思いやり過ぎて、お互いのために犠牲になった。
続いて、茜色の翼を持つ気さくな有翼人の姿。
彼はトリスタンよりも遙かにミカエラをよく知っている。それだけでなく、今までどんな我が儘も、弱さも、汚さも許して常に側にいた。先程も、彼は全てを捨ててミカエラを連れて逃げるつもりだったのではないだろうか?
そしてトリスタンと同じように、ミカエラに恋いこがれたハイランドの騎士。
彼は幼い頃からの婚約者を連れて、北ハイランドの太守となる道を選んだ。ミカエラがそれを望んだからだ。
彼の剣は、今も新生ゼノビア王国ではなくミカエラ個人に捧げられている。
彼らに対し、自分は何一つ勝てるものがない。
自分にあるのはゼノビアの皇子だという、生まれながらに決まっていた、己の力で勝ち取ったものではない地位だけだ。
何よりも嫌っていたその地位を利用してミカエラを絡め取った。
汚い手段だと思う。それでも、彼女を得るためならば。
私はこれから永遠に怯え続け、自分を呪い続けるのだろう。
トリスタンは眼を伏せた。
「悪い王妃になってくれ。私が四六時中手を焼くような、そんな王妃になってくれ。君を追い続けていたら、私は君に甘えることはないだろうから」
いつかミカエラの想像が現実になるかもしれない。予言にも似たそれは、有史以来どの王家にもあった堕落だ。
その輪を抜け出してやる。
「運命が二人を分かつ日まで……」
トリスタンは妻の額に唇を寄せた。
唇へのキスは、まだ彼女を怯えさせるだろうと。
ミカエラは蝋燭の明かりにゆらめくトリスタンの金髪を見つめた。
ごめんなさい。ごめんなさい。
こんなにもあなたは私を愛していてくれるのに、心の底から感謝しているのに。とても幸福な事だと分かっているのに。
それなのに。
私はあなたをも食い物にして、自分の幸せの為に彼の側にあろうとしている。
心の中で泣きたいくらいにトリスタンに謝りながら、ミカエラは夫に忠誠を誓う、薄い金色の髪を持つ高潔な騎士を想った。
PRIESTESS
-女教皇-
遠い昔に天使が地上の女性を愛し、彼女に送った巻物を手にした姿で描かれる
2は対極を表す数字
ゆえに合一しない
逆位置の意味は
「無理解」
「嫉妬による崩壊」
そして
「一方通行の恋」である
プリエステスエンディング。別名を「ランス×女オピ派の天敵エンディング」です。
ランス×女オピがベースですので、どうしても破滅一直線の内容です。カノープスとデボネアは別として、ランスロットは絶対に主君の妃と不倫しそうにないですから。名前がランスロット(名前の由来である『アーサー王物語』では主君であるアーサーの奥さんを寝取ってます)なのに、押しの弱い方です。
トリスタンの台詞「運命が二人を分かつまで」はゲーム本来では女オピの台詞なのですが、ここではあえてトリスタンの台詞にしてみました。