THE TOWER

-塔-

タロットにおける16番目のカード
16は権力を示す「4」の4倍
過剰な力による傲慢
意味するところは「崩壊」
正位置での意味は
「対立」
「突然の別離」
そして「諦観の境地」である

 最後の祈りが届くのなら、神よ。

 私は彼女がいない世界で生きたくないのです。
 彼女がいない世界には意味がないのです。

 だから神よ。

 願わくば、彼女よりも先に死ねますように。
 一瞬でも彼女がいない世界に置き去りにされませんように。

 そして、あまねく暗黒の神よ。

 醜い執着と欲望に歪んだ私の魂を、彼女のいる場所へと導いてくれますように。
 煉獄の入口で彼女を待ち、彼女に手を預けられ、再び共に歩み、永遠の苦痛も共に過ごせますように。

 しかして彼の願いは叶えられた。

 カラスの鳴き声が静寂に包まれた城内にこだまする。
 ゼノビア帝国大将軍、クアス・デボネアは足を止め、窓の外を仰いだ。
 最近、カラスが増えた。
 城下から民は徐々に去り、シャロームに移住しているという。解放軍の支配する穀倉地帯、シャロームでなら餓死の心配はない。だから民の屍肉を求めて集まって来ているのではないのだろう。
 それならば何故だろうか。
 カラスが旋回する場所には遠からず死が訪れるとされている。
「馬鹿な」
 デボネアは額に手を当てて、その考えを否定しようとした。
 ――将軍も同罪よ!
 はっとなって、デボネアは辺りを見渡した。
 ――エンドラ陛下にはローディスから国を守るという使命があったわ。お父様もご存知でいらっしゃったはず。たとえラシュディの走狗となり民を苦しめたとしても、お父様と陛下には大義があった。何もない……あの女帝と一緒にしないで! あなたももう騎士じゃないわ! 暗黒の女帝に仕える、破壊に取り憑かれたオウガよ!
 耳に響くのは、ハイランド初の女性聖騎士ラウニィーの声だ。
 ――運命の星は王者の星を導く……。そう占じたのはわたしです。ただ、このようにむごい形など望んでいなかった……。
 続けて、老占星術師の声。
 ――こんな帝国もどきを作るために多くの命が失われたのか? 彼女が築いた国は、かつての帝国と同じではないか。エンドラに背いた騎士よ、貴公は許せるのか?
 これはデボネアと同じように、彼女に命を捧げた魔獣使いの声だ。
 ――神に背いた者に慈悲はありません。
 凛とした声はアヴァロンの聖女、アイーシャのものだ。
 デボネアはぎりっと奥歯を噛みしめ、抗った。
 外からはカラスの鳴き声、内からはかつての仲間達の去り際の糾弾。声は油断するとデボネアの心を折るためにここぞとばかりに襲う。
 ――恋情とは、最もやっかいな感情かもしれんな。人を惑わせ、目を曇らせる……。
 溜息のような声は、ドヌーブの英雄、老魔術師サラディンだ。
 ぐっと息が詰まり、デボネアは激しく咳き込んだ。
 ――クアス、あなたが目覚めた時でいいのです。どんなに遅くなってもわたくしは待っていますから、いつか必ずわたくしの元へ戻って来て下さいね……。
 柔和で心に染みいるような声は、ゼテギネア帝国聖職者の頂点、法皇ノルンだ。
 デボネアはふっと自嘲気味に笑った。
 サラディン殿、惑わされているのは私だけだろうか? ノルンの心は?
 曇っているのは私の目だけだろうか? ノルンの目はどうだろう?
 多くの者が蝕まれている。
 貴殿がおっしゃったように、情とは厄介なものだ。
 一方通行であっても捨てられない。双方向だと信じ、待ち続けるノルンは哀れだ。もう決して交わることのない虚しい幻想なのに。
 幻想に捕らわれた者を、貴殿はきっと愚かだと言うだろう。私に捕らわれたノルンは愚かだ。
 サラディン殿、貴殿の言葉は堪えた。
 だが、一番堪えたのは何も言わずに去った聖騎士の無言の糾弾かもしれない。
 彼の心中など推量したくもない。同じ愚か者同士と嘲笑うだけだ。
 ただ、たまに、声にならない声に責められる。
「閣下」
 反射的に剣に手をかける。振り向くと、いつの間にか背後でサンジェルマンが跪いていた。
「陛下がお呼びです」
「……ご苦労」
「はっ」
 夕暮れの薄明かりの中に、サンジェルマンの姿が溶けるように消える。
 デボネアは息を吐きながら柄から手を離した。
 当代最高と影で讃えられる密偵であり、最も恐れられた暗殺者が敵に回らなかったことに感謝すべきかもしれない。
 自分だけでは解放軍からやって来る刺客や、帝国内部から沸く不埒者どもを退けることなど到底できなかっただろう。
 彼もまた、女帝に抱いた情で己を捕らえてしまった哀れな虜囚だ。
 情だけが、ありし日の人々の中に留まってしまった。

 女帝は禍々しくも美しい紫の夕焼けを身に浴びながら、窓に手を当てて佇んでいた。
「クアス」
 穏やかに微笑み、女帝は彼の名を呼んだ。
「……ミカエラ」
 デボネアもまた、女帝の名を呼ぶ。
 名を呼ばれるのは、公の立場からはずれて私で接するのを意味する。
 ゼテギネア帝国打倒を目指す解放軍にある頃、ミカエラはノルンに申し訳ないからと言って、常にデボネアを姓で呼んだ。
 女帝となってからは『将軍』、仲間が去り昇格してからは『大将軍』と役職で呼ばれる事が多かったが、私的な場では名前で呼んでくれるようになった。そんな些細な事が嬉しくてたまらなかった。
 ふと、デボネアは違和感を感じる。
 常にミカエラの傍らにいた茜色の翼の有翼人の姿がないのだ。
「カノープスはどうした?」
「行ったわ」
「そうか……」
 きっとカノープスは今もミカエラの助命の為に奔走しているのだろう。
 ゼノビア城にまで迫っている『解放軍』の中にも、英雄ミカエラを殺すのは忍びないと思っている者がいる。
 決起当初から彼女と共に戦った騎士ランスロットがそうであり、英雄ではなく、一人の女としてのミカエラを支え続けたカノープスがそうである。
 ランスロットはトリスタン皇子率いる『解放軍』……反ゼノビア帝国軍の中枢にありながら、水面下で懸命にミカエラの助命懇願を行っている。
 カノープスは帝国魔獣軍団長の位にあったが、現在は解放軍に籍を置いている。
 だが、それは虚偽の姿である。
 彼は有翼人の機動力を生かして、ランスロットを初めとしたミカエラ助命派と女帝ミカエラの仲介役を果たしているのである。心はまだミカエラの側にある。
 彼の役割が機能している間はミカエラの生命は安全である。
 刺客は毎日のように現れるが、解放軍が揺れている間は全軍突入の事態には陥らない。
「ランスロット卿は何と?」
 安堵しながら尋ねると、ミカエラはふっと鼻で笑った。
「カノープスは、もう来ないわ」
 冷や汗がデボネアの額に薄く浮かぶ。
 『帰らない』ではなく、『来ない』という言葉が全てを表していた。
 彼もまた、完全に解放軍に降ってしまったのだ。
 解放軍全軍突入、そして帝国の崩壊を意味するにはあまりに抽象的な言葉だった。
「……そう、か」
 視線を背け、マントの下の手を握りしめた。
 あの男までも、ミカエラから離れてしまった。いついかなる時も彼女の為だけを思い、誰よりも側にいた男が、彼女に背を向けた。
 デボネアは自分の内に沸いてきた奇妙な感覚を感じていた。
「一度、聞いてみたかったことがある」
「何?」
 こんな時でもミカエラの微笑みは愛らしい。
「何故、きみは帝王になったんだ?」
 ミカエラの微笑みが当惑で歪んだ。
 不用意に彼女の心に踏み込むような行為だったと後悔する。謝罪しようと一歩進み出た時、ミカエラの顔に笑みが戻った。
「……舞台を降りる時間をね、間違えちゃったのよ」
 とんだ三文役者ね、とミカエラは振り払うように髪を耳にかけた。
「勇者やカリスマ……人を越えたもの、あるいは選ばれたものだけが持つものは現実にはいらないの。夢物語の中の登場人物だけでいいわ。国をね、実際に長く平穏に治めるに相応しいのは継承可能な実直な為政者よ。引き際を間違えた勇者ができるのは、悪に染まり、絶対敵になって、王者に為政者としての資格を譲り渡すこと……。民に、勇者なんていう得体の知れないものは必要ではなく、正統な継承者が国を治めるのが正しいのだと刻みつけること……。だから私はトリスタンに王位を譲り渡すの……」
「だから、きみは?」
 ミカエラまで、あと3歩ほどの距離がある。
 すぐに詰めてしまえるほどの距離なのに、空間が捻れたのか、それとも自分の感覚がおかしくなってしまったのか、耳の奥がわんわんと鳴って、ミカエラがどんどん遠くなる。
 一歩進み、右手で宙を掴み、見えざる糸をたぐり寄せ、ミカエラを引き寄せようと藻掻く。
 突然、恐ろしい程の沈黙を破り、ミカエラがおかしくてたまらないといった風体で、腹を抱えて笑った。
「嘘よ。嘘。さっきのはただの言い訳」
 言いながら、デボネアが詰めた分一歩引く。
 楽しい悪戯を考えた子供がこんな表情をするだろうか?
 ミカエラは無邪気に、突き抜けたような晴れやかな笑顔を浮かべる。
「執着よ」
 両手を広げて、窓を背に背負った。
 夕暮れの光がミカエラを縁取る。紫とも、桃色ともつかないような不可思議な色だった。
 あ、とデボネアはつぶやいた。
 光を背負ったミカエラの姿。
 あの時ミカエラの輪郭を彩っていたのは、痛々しいまでに無垢に白く、救いを示す光だった。
 地下牢に転がされた哀れな追放人たる自分を救いに来た、聖なる勇者。激闘の後を残す返り血もそのままに、顔をしかめるような血の臭いを漂わせながらも、泡立つように光を反射する鎧と、仄明るく発光する聖剣の神々しさに息を飲んだ。
 あの時は影になった彼女の顔が見えなくても感動に打ち震えたと言うのに、今は、逆光に隠れてミカエラの顔が見えなくなるだけでこんなにも不安だ。
 光の加減。それだけなのに、彼女の表情が窺い知れなくなった事がたとえようもなく恐ろしかった。
「私が帝王になったのは……私の中の、とても醜い……」
 ミカエラがうつむいたのが、髪が肩から流れ落ちる微かな音で分かった。
「……ミカエラ」
 執着の正体。
 それは一人の男の名前で片づく。
 言葉にして言われたのではない。
 彼女はとても強く、弱みを見せるのを恥とする人間である。弱音など吐くはずがない。
 だが、彼女の側にあり、彼女という人を知りたいと思い、彼女の視線と表情に気を払っていれば分かることだ。指導者としてのミカエラではなく、女としてのミカエラを愛しいと想い、見つめていれば分かることだ。
 彼女が執着してしまったのは、名誉でも地位でもなく、彼女の想い人であるあの騎士だ。
 ミカエラは聡明な彼女らしくもなく、騎士が慕っているのは自分という一個人でも、『解放軍指導者』でもなく、『神に選ばれた勇者』だと誤解していた。
 『神に選ばれた勇者』として暗黒神に立ち向かうには圧倒的な力が必要だった。
 勇者として清く輝かしくありたいのに、神の力に限界を感じ、ディアブロに対抗できない自分を呪い、悩み、苦しみ、いつしかひそやかに暗黒道に堕ちてしまった。
 堕ちたと確信したとき、ミカエラは覚悟をしたのだろう。
 これから何が起こるのか、何をしなければならないのか。
 仲間達が去り、あの騎士に剣を向けられる、自分を待ち受けるその日を。
 デボネアは、再び拳を強く握る。
 知っていて告げなかった。
 あの騎士は、指導者のミカエラなどどうでも良かったに違いない。自分と、そしてカノープスと同じように、彼女そのものを慕っていたのだ。
 あの騎士はきみを愛しているのだと言ってやれば、こんな事態には陥らなかったかもしれない。
 言わなかったのは自分の嫉妬と執着だ。言ってしまったら、彼女に振り向いてもらう最後の機会を無くすような気がしたから、あえて目を背けた。
 彼女がなすこと全てに無駄はないのだと、暗黒道に堕ちたことすら意味があるのだと信じて。
「あんたは行かないの?」
 まるで出て行くことを期待するような口振りだ。
「いつまでも、私に付き合う必要はないのよ」
 突如、デボネアの心の奥底でどろどろとわだかまっていた憎悪が噴出した。
 あの騎士が憎い。
 ミカエラが執着するのはあの騎士だけなのか。
 自分は、絶対にあの騎士以上になれないのか。
「俺はこの命果てるまで、きみと共にと誓った」
「同じように言ったアイーシャもギルもサラディンも去ったわ」
 デボネアの怒気をはらんだ声に、ミカエラは穏やかで諭すような声色で答える。
「デボネア」
 姓で呼ばれ、びくりと体が震える。
「……はい」
「跪きなさい」
 ミカエラの声は魔術のように心に響く。
 デボネアは反射的に跪き、頭を垂れていた。
「……もうとうの昔に神には愛想を尽かされているでしょうけれど、今の私は暗黒道を歩んでいるけれど……もしも女帝として命令を下せるのなら……」
 黒よりも赤いベルベットのドレスの長い裾が、大理石の床を滑る音が近づく。手を伸ばせば触れるほどの距離に、ミカエラのドレスの裾がある。
 ぴたりと立ち止まると、緩やかな歩みで押し出された空気に乗ってミカエラの香の香りが鼻に届く。
 手を伸ばしてたぐり寄せたい衝動に駆られ、微かに指先が震えた。
 ミカエラはデボネアの頭に右手を置いた。
「クアス・デボネア。ゼノビア帝国皇帝ミカエラの名において、汝を大将軍の任より解く」
 かっと目を開き、デボネアはミカエラを見上げた。
「陛下……私は!」
「用事は終わり。クアス、早く行って。数日中には解放軍がやって来る。今ならまだ間に合うわ」
「……きみは?」
 泣きだしたい気持ちで、懸命に言葉を紡いだ。
 窓の外から差し込む紫の光がミカエラの顔の半分を浮かび上がらせている。
 東の空を見つめるミカエラの眼差しは、愛おしい人を見つめる夢見るような瞳だった。
 東には、解放軍の本陣がある。
「私は……ここで、待つわ」
 誰を、とは聞かなかった。
 いや、口が裂けても訊きはしない。
 彼女の口からあの騎士の名前など聞きたくなかった。
「……逃げないのか?」
「勝ち名乗りには、これが必要でしょう?」
 視線をデボネアに下ろすと、ふっと花開くように笑い、ミカエラは自分の首を指さした。
「私の首の代わりになれるような美女なんて、国中探してもいるわけないじゃない」
 高飛車で傲慢な言葉すら愛おしく、悲しかった。
 差し出された手を取って、デボネアは立ち上がる。
「さあ、行きなさい」
 どうしてこんなときに、そんな晴れやかな笑顔を見せられるのか。
 デボネアは唇を噛み、口惜しさに耐えた。
 小さな動作の中で自分を押さえながら、心は泣き叫んでいる。
 突き放さないでくれ、遠ざけないでくれと。
 あの騎士のようにでなくてもいい。執着も情もいらないから、その辺りに転がっている何の価値もない石コロではないのだと、せめてそれ以上の存在であればそれでいいから。
 あさましいと、自分でも分かっているけれど。
「降っても、信用などされやしない」
「……そう、か。そうね」
 2度目だものねと言い、ミカエラは小首を傾げ、唇に指を当てて思案した。
「持って行く?」
「え……?」
「これ」
 とんとん、とミカエラは自分の首を指で叩く。
「あんたなら、いいわ」
「ミカエラ」
 掠れた声を絞り出し、名を呼ぶ。
「ちょっと重いし、髪が邪魔かもしれないけど、これがあったらトリスタンも少しはあんたを信用してくれるかもしれないわ」
 ミカエラは手早く髪をまとめ、デボネアの腰の剣に手を伸ばした。
『あんたなら、いいわ』
 デボネアはミカエラの言葉を何度も反芻していた。
 剣を首に当て、前のめりに重さをかけようとするミカエラを寸前で押し止めた。
「クアス……?」
「俺は、いらない」
 細い傷口から、鮮やかな血が真紅の絹糸のようにミカエラの首を伝った。
「そう。じゃあ、どうしようか?」
 ミカエラは剣を両手に捧げ持ったまま、困ったように目尻を下げた。
「頑丈なグリフォンを一頭と、宝石類をありったけ用意するわ。解放軍に追跡されるだろうけど、うまく逃げられる? サンジェルマンをつけようか?」
「俺はそんなものいらない!」
 ミカエラの手から剣を乱暴に奪い取り、そのまま投げ捨てた。剣は大理石の彫像にぶつかり、派手な音を立てて床を弾む。
「クアス!? デュランダルが!」
 剣を拾おうと踵を返したミカエラの腕を、デボネアは強い力で掴んだ。
『あんたなら、いいわ』
 もう一度、あの言葉が耳の奥で響く。
 柔らかな声、待ち望んでいた言葉。それはデボネアから仲間達の糾弾も、迷いも全て吹き飛ばしてしまった。
「首をくれるというなら……」
 目の奥が熱くなり、涙がとめどなく溢れた。
「きみの命を、俺にくれるなら……俺に預けてくれるなら……」
 声が嗚咽に変わってしまいそうだった。
 涙を拭うミカエラの手は、赤い女帝に相応しく冷たい。自分の涙が熱く、ミカエラが火傷をしてしまうのではないかと的はずれな心配が頭をかすめた。
「クアス、どうしたの?」
「守らせて欲しい。……事切れる瞬間まで」
 デボネアは両手にマントを掴み、群青のベルベットで覆うようにミカエラを抱きしめた。
「最後まで、きみの側に」
 先程から沸いていた感情の正体は歓喜だったのか。
 ようやく正体を突き止め、自然に頬が弛む。
 あの騎士にも、有翼人にもミカエラは命をやると言わなかった。自分だけだ。自分だけ。
 他にどんな言葉がいるだろう。
 溢れる想いのまま、デボネアはきつくミカエラを抱きしめた。
「クアス……」
 耳に響く声に、デボネアは少しだけ力を弱めた。
 見下ろすと、女帝の碧玉の瞳が柔らかく細められている。
「馬鹿な、ひと」
 ミカエラは幸福そうに、とても小さな声で囁いた。
 一度軽く唇を合わせ、小さく息を吐いた後、噛みつくように互いをむさぼり合った。

 ゼノビア城下の平原で帝国軍を打ち破った解放軍は、ゼノビア城に進撃した。
 解放軍を待ち受けていたのは人の姿が消え、死都と化したゼノビア城の姿。そして、亡霊、悪魔を率いる『赤き女帝』であった。
 解放軍は聖騎士や僧侶を前線に配置し、暗黒の兵士たちを打ち破り、王城前の広場まで達した。その間に失われた兵士だけでも数千を数える。
 残った聖騎士団、騎士団、投擲団、魔法兵団はそれでも果敢に進み、稀代の暗殺者をも退け、女帝の魔法と騎士の剣に多くの犠牲を払いながら広場に女帝を追いつめた。周囲を囲み、女帝がテレポートで逃げる隙すら封じた。
 解放軍は勝利を確信した。
「この程度で私を追いつめたつもりか?」
 だが女帝は赤い唇を不敵に釣り上げる。
「奈落より来たれ恒久の焔……」
「あれは……下がれ!!」
 かつての戦いでこの詠唱を聴いた聖騎士が声を張り上げた。
「享楽の大地に落魂の五芒を刻め……、イービルデッド」
 女帝の詠唱の完了と同時に、広場のみならず大路にも渡る巨大な五芒星が出現する。次の瞬間には地面から緋色の光が吹き上がり、広場は断末魔の絶叫で包まれた。
「なんという……!」
 老占星術師が全身から血をほとばしらせながら、驚愕の声を上げる。
 以前この魔法を使役した暗黒のオウガ『黒騎士』ですら、これほどの威力はなかった。
 『戦乙女』と呼ばれる聖騎士が、女帝の次なる詠唱を食い止めようと、咆吼と共に槍を投げる。
 だがしかし、その槍は女帝を守る騎士によって弾かれた。
「脆弱な」
 女帝はくくく、と喉を鳴らして楽しげに笑う。
「矢を放て!」
 かつて女帝に命を捧げた魔獣使いが叫ぶ。
 イービルデッドの効果範囲からはずれていた投擲部隊が一斉に矢をつがえる。
 女帝は、ふっと鼻で笑った。
「北海に住む竜王よ、汝の氷冠を授けよ」
 氷の禁呪の詠唱を聴き、危機を察した老魔術師が渾身の力を込めて防御魔法を練る。
「凍土と化せ、アイスレクイエム!」
 吹雪が吹き荒れ、放たれた矢を逸らし、凍らせる。冷たき余波は辺りを凍土に変えた。老魔術師の防御魔法の恩恵に預からなかった兵士たちは、その場で氷の柱と化して砕け散った。
 騎士が凍気を避ける繭のように覆っていたマントを広げると、無傷の女帝が現れる。
「クアス! もうやめて!!」
 法皇と謳われた僧侶が叫ぶ。
 騎士の顔に、表情はなかった。
 左手を優しく女帝の肩にかけたまま、これほどの惨状を眉一つ動かさず見下ろしている。女帝のそれと酷似した冷酷な眼差しは残った兵士たちに底知れぬ恐怖を抱かせ、威圧した。
「……クアス」
 僧侶の顔を絶望が彩る。
「邪魔だ」
 女帝はすうっと手を上げ、僧侶に向けた。
「冥府にわだかまりし蠢くものよ、撒散の時来たり……食い尽くせ、ダーククエスト」
 ぼんやりと光を吸う亡霊が女帝の周囲を埋め尽くすほど召還され、一斉に放たれた。
 僧侶のみならず、亡霊は魂を凍てつかせる咆吼を上げながら生者を食む。アヴァロンの聖女が全魔力を振り絞って癒しの魔法をかけたが、かろうじて生き残ったのはかつての戦役で活躍した精鋭のみであった。
「ミカエラぁー!!」
 赤毛の有翼人が悲鳴のような絶叫を上げる。
 しかし有翼人が放った渾身の雷の矢は女帝に届かず、咄嗟に女帝を守った騎士に直撃した。
 騎士は激痛を呻き声ひとつ上げずに堪えた。
 ぽつぽつと、騎士の血が女帝の白い頬に落ちる。
「……ミカエラ」
「そう、ね。そろそろいいわね……」
「ああ」
「あんたも、結構な役者ね」
「きみには負けるよ」
 もう一度マントで包み、騎士は女帝に唇を寄せた。
「ミカエラ」
「ん?」
「ありがとう」
「馬鹿。それはこっちの台詞よ。……ねえ、クアス。本当に良かったの? 私はいいのよ。悪の女帝として死ぬ道を選んだのだもの。でもあんたまで暗黒騎士として語り継がれるなんて……」
 そんなの嫌よ。
 女帝のつぶやきは拗ねた子供のような口振りだった。
 騎士の顔には満足げな笑みがある。
「最後まできみの側に。神への誓いではなく、俺の我が儘だ」
 騎士はすらりと剣を抜きはなった。
 剣の銘はデュランダルという。それはかけがえのない友の形見だったが、暗黒剣と呼ばれる剣でもあった。
 あの時から友はこうなるのを見越していたのかもしれない。
 騎士は手を差し伸べる。
 女帝は手を乗せる。
「さあ、行こう」
「ええ」
 女帝と騎士は微笑み合い、ゆっくりと階段を降りた。
「魔力が尽きたのか!? 行け!」
 最後列からゼノビアの皇子の怒号が響く。

 激しい戦いであったと言う。
 いずれも一騎当千である解放軍の精鋭を相手に、騎士は女帝を守りながら、ひるむことなく悪鬼のごとく戦った。
 そして、矢と槍と剣を満身に浴び、愛おしい女の腕に抱かれて逝った。
 無防備に騎士の亡骸を抱いた女帝の首は、聖騎士の剣によって切り落とされた。
 聖騎士は涙を流し、心引き裂かれる悲痛に顔を歪め、微笑みの残る長い緋色の髪を持つ首に口付けた。
 女帝の最後の騎士は、願いどおり、取り残されなかった。
 最も忌むべきその場面を見ずにすんだのである。

 それは神の慈悲か?

 それとも、悪魔の祝福か?

THE TOWER
-塔-

神に背いた咎人の塔が落雷で崩壊する様が描かれる
16は完全数「4」の自乗
何者をも恐れない完全な強さを表す
逆位置の意味は
「慈悲を待つ心」
「高望み」
そして
「利己の決着」である

 タワーエンディング。
 本来のタワーエンディングでの出演者はオピ(名前だけ)、トリスタン、ランスロット、ラウニィー(名前だけ)で、最後にデボネアが残るなどとはさっぱり書かれておりません。あくまで超個人的妄想ということでお納め下さい。